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岩槻城復元図1 趣旨
  「平成の大合併」といわれる全国的に進められてきた市町村合併は記憶も新しく、日本中あちらこちらに見知らぬ名前の町が誕生した。そもそも「平成の大合併」とは、総務省が中心になって進めてきた近年の市町村の再編政策「平成合併」によって行われた市町村の合併のことで、1950年代に進められた「昭和の大合併」にちなんでこう呼ばれるものである。では、なぜこんな政策が行われたかといえば、主たる原因は市町村の財政悪化だといわれる。市町村の合併は、今まで借金を積み上げてきた自治体が、合併にともなう公共施設の統廃合など行財政の効率化を図り、支出を減らすとともに、合併特例法によって国からの財政上の特典を受けられることになる。それにより市町村は行財政基盤の強化を図り、住民には、より充実したサービスを提供し、住みやすい街づくりを展開できるというのが総務省の推進理由だった。
確かに、合併においてのメリットを検討すれば、住民にとってプラス要素は大きい。しかし、合併することで多くの慣れ親しんだ町名が消失し新しい町名が誕生した。それらの見知らぬ解らない地名の出現に、正直、戸惑うことも珍しくない。しかし、それは外部から見た表面的なデメリットでしかないが、内部的弊害は大きい。住民たちにとっても期待したほどの効果はなく、逆に住民サービスが低下したとされる地域もある。そして何より危惧されるのは町名の消失とともに積上げられてきた地域の歴史や文化が、時間と共に忘れ去られてしまうことである。
もちろん町名が残る町もある。そのような町ですら、大抵の場合は有名な舞台のみを取り上げ、都合良く事実を歪曲し、小説の如く、良きに計らっているように思える。ましてや町名の消滅した町では、融合した町との足並みを揃え、新しい町の色に染まろうとし、特色のない、どこへ行っても変わらない、魅力に欠けた町となる。つまり消えるのは名前だけでなく、かつて存在した先人達が作り上げて来た魅力ある賑わいのある町と街、それ自体の消滅といえるのである。
本来どこの地域の人々の間にも、誇れる歴史や残したい文化がある。興味深く、独自性のある歴史や文化があるものだ。しかし、多くの住民は自分の居住地域の歴史を知る機会は殆ど皆無である。
かつて諸外国から「破壊の天才日本人」と揶揄されながらも、経済発展の名の下に開発を進めてきた。その結果、物理的には豊かになったが、地域に根付いてきた規律や規範、しきたりや風習、その村の掟までもが忘れ去られ、誰もが地域に倣うことで自然と身に付けて来た道徳心を失いかけている。豊かさがあるが故の自分本位な考え方が、知らずのうちに慣習化し、心が貧しくなってきたのだといえるだろう。そして合併による町の消滅も拍車を掛けているのではないだろうか。
これは、郷土意識を薄れさせ愛着さえ持てない住民を生み出す原因の1つであり、いくら町を盛り上げようと何かをやっても、参加するのは一部の人々だけである。人々の参加意識が低いのは、郷土の歴史と文化を知らないから試着が持てないといっても過言ではない。
今日の我々が存在するのは、歴史を作り上げてきた先人たちのお陰である。その先人達が郷土の歴史を積上げて来たという事実や、幾多の工夫を知ることで、過去と現代の繋がりを見出せば、本来、自分がやるべき未来が見えてくる。同時に郷土の歴史を見直すことで、文化への感動と先人の知恵の素晴らしさに感服し、感謝の気持ちが芽生えてくる。だからこそ、我々は地域の文化の研究と歴史探索を報告書にまとめ、それを利用した町づくり事業を企画し、郷土の歴史と文化を地域の子供たちや住民に広く伝えて行きたいと提言するのである。
町が消滅しても地域の歴史はノンフィクションであり、現代に繋がっている。これを理解することにより個人や地域の未来予想図が作成でき、地域文化を知り、触れてもらうことで郷土愛を育める。地域住民の参加はもちろん地域内外へ広報活動を推進すれば観光事業にも繋がる。それには地元企業や商店の協力を仰ぎ、地域を活性化し新たなコミュニティーの発見と開発を行っていく。生涯学習のシニア世代にも、社会教育の支援に繋げるために社会学的・自然科学的研究を進めて行けば、次代を担う子供たちにとって格好の学習材料となり、歴史は教科書だけにあらずと、郷土史の面白さに気がつき、歴史的文化遺産がなくても、歴史的事実からまちおこしを科学するという工夫と知恵が育め、そこに存在する様々なルール(掟)などを知り、道徳的な感性も芽生え将来的に規律正しい人格形成にも繋がるであろう。 
従来技術文化の保存と同時に人間啓発、新規技術の研究や開発を支援することで地域の人々に多く呼び掛ければ、郷土愛が芽生え参加意識も高くなる。それが地域貢献に繋がり、研究開発を基に将来的に起業することや地域企業の支援も可能となる。そして、地域外の人が「郷土の歴史」の面白さを知ることで発想が磨かれ、自分の郷土を再発見しようと多くの地域に波及していくだろう。

2 申請に至るまでの経過
 まずは「岩槻」からを合言葉に発信するが、なぜ手始めが「岩槻」なのか。
岩槻は私自身の地元であり、「平成の大合併」でさいたま市と合併した「失われた町」のひとつでもあるからだ。
かつての「岩槻」には、驚くような歴史や文化を育んできた歴史的面白さがある。現在「岩槻」は「人形の町」として全国的に知れ渡っているが、江戸時代に二十万人もの日光社参の本陣でもあったことはあまり知られていないのではないだろうか。当時は華やいでいたこの町も幾多の合併を繰り返し、その度に特徴のある文化を失い、情緒に満ちた町並みも姿を消し変貌を遂げ、明治以降はすっかり廃れてしまった。このままでは貴重な歴史的事実までもが、忘れ去られてしまう日も遠くないだろう。
そもそも江戸時代は、将軍中心に1つ1つの世界を描いてきた。江戸から日光社参への街道にも、計画性を持った景観が広がっていたはずである。今でこそ大切にされ始めている「古き」を残すという発想も、破壊を繰り返し、まちづくりを観光化するために、再生した文化遺産では、本物を求め過ぎ日常生活空間を満足させるための虚像化だ。これでは過去からのメッセージは聞こえてくるはずがない。  
しかし、「岩槻」はなぜ明治以降に廃れてしまったのか。岩槻で起きたで数々の文化遺産の破壊的事実、これは、単純に開発のためだけだろうか。「なぜ、どうして」という疑問が沸いてきた。岩槻の歴史を調べて学んで行くと、当時、岩槻が重要な地であったことを知った。そんな不思議さと面白さに満ちている町の歴史を多くの方々に話したところ、殆ど全員が興味を持ち、岩槻に何かを見つけたい。歴史が埋もれたのは何か理由があるだろうから知りたいという人が増えてきた。話だけでなく訪れたいと希望する面々も現れ、改めて一緒に岩槻巡りをしてみることになった。
更に岩槻の面白さを理解した町おこしが行われているか知るために市役所なども訪ねたが、その歴史や文化を広く伝えようという動きはなかった。そこで、岩槻に住み、または地域を内側から見て来た我々と、外から見た岩槻の不思議さと魅力をコラボさせ、岩槻の歴史と文化に触れながら、さいたま市の主役を担うためにも、興味と期待を現代から未来に繋げる社会的見地での、まちづくりにとして地域貢献するために、社会学の専門家である法政大学の安江孝司教授に協力を仰ぎ、NPO法人を立ち上げて、多くの人々に参加を頂き、岩槻の歴史をはじめとし日光社参に使われた街道筋の地域と参拝ルートの調査研究を行い、町おこしに繋げる取り組みを行うことになった。

3 今後の活動と展望
 まずは、岩槻の歴史と文化を紹介し、観光や地場産業の活性化を検討する。地域の発展には、新しいパラダイムの構築が不可欠で、そのためには希薄になった歴史観を取り戻すことが必須だ。埋もれた歴史に視点を向け、その時代の都市空間と生活文化を解読し、街道沿いの歴史と文化の独特性を見つけ出し、壊しながら創る文化および郷土史を比較探求し、郷土の特徴を追求する。そして内側からのまちづくりと外側から観た町づくりをマッチングさせ、新たなツーリズム振興策の特色のある対話型の小規模観光に注目しながら、数少ない歴史的文化遺産や郷土史との対話のツーリズム振興策、郷土の歴史と文化にスポットを当て、現地の人と会話する観光に移行し、地域の企業や住民を巻き込むマスツーリズム的まちづくりに繋げて行く。
具体案の一例として、バーチャルタウンの構築がある。これはインターネットの世界で仮想した現在の岩槻区を再現するもので、観光名所となる寺社や名産品を扱う店舗などに協力を仰ぎ、観光ガイドとネットショップを融合させたサイトを立ち上げる予定だ。その他、健康志向と学習志向の高いシニアに向けた「歴史の専門家と行くウォーキングツアー」や「学び」をテーマとし、若者向けに「風水で検証パワースポット巡り」などといった旅行企画、年代・性別を問わず挑戦できる「ふるさと検定」などを企画している。
 行く行くは地域文化・産業の研究を日光街道周辺に波及させ、日本全国の地域研究を行うシンクタンクを設立し、果てはシルクロードを辿り、国際的な町おこし指導者的立場となることを目指すものである。

日光東照宮

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