岩 槻 の 伝 説
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慈恩寺の七不思議
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 慈恩寺の七不思議 (慈恩寺地区)
 
 むかし、慈覚大師という偉いお坊さんが、日光二荒山のふもとの橋の上で天をあおぎ、「東国(関東)で仏教を広めるのにふさわしいよいところをお示したまえ。」と、お祈りして持っていた李(すもも)を空高く投げました。すると紫色の雲がそれをとりまいて東南の方へと飛び去っていきました。
 慈覚大師は、とんでいった李のゆくえを追うように旅を続けていきましたが、とある広い野原で、白髪の老人がとつぜん現れ「私は長い間大師をお待ちしておりました。ここは仏の教えを広めるのに最もふさわしいところです。どうかここにとどまってください。」と、お願いしました。
 そこで大師は「私は寺を建てるところをさがしておりますが、もし私がさがしているところでなければ、それは出来ません。」といいました。
 すると老人は「実は不思議なことが一つあります。私の家の近くでわずか一夜のうちに李の木が生え、花が咲いているところがあります。」と申しあげました。大師はさっそくそこへ案内してもらいました。
 李の木を見た大師はたいへんよろこんで、「私が二荒山で投げた李が、ここでこのように見事な花を咲かせるとは、仏様の思召にちがいない。私が寺を建てるべきところはまさにこの地です。」とおっしゃって、ここに寺を建てることになりました。
 そして、李の木はこの寺にとってめでたい木ということで、寺の境内はもとより近くの家々にまで一ぱい李の木を植えましたので、花は見事に咲きかおり、」寺の山号も「花(華)林山」と呼ばれるようになりました。
 そこで、慈恩寺の七不思議の第一に、この「李の木」が数えられたのです。

 また、老人は大師に申しました。
「あなたがこの地で仏教を広め、人びとの平安を祈っていただくよい場所をご案内しましょう。ここから数町(一町は109ートル))東南の方角で、沼のほとりの森かげです。そこへはこの車にお乗りください。私はこの世を守る十二天の一人毘沙門天です。」といいおわると、老人の姿は大杉もとから煙のように消えうせてしまいました。
 そこで大師は、教えられたとおり車に乗りますと、不思議にも車はまるで御者があやつるかのように走り出しました。
 そして、しばらく行くと、どこからともなく足が三本ある雉子がやってまいりました。雉子は車の前を飛んで道案内をしてくれたのです。
 この「三つ足の雉子」こそ七不思議の二つ目のお話です。

 大師の車は、目的地に向けて走り去りましたが、この車が七不思議の三番目「十二天の車」というお話しです。
 この車は、大師が出かける時便利に使われましたが、それだけでありません。寺はもとより近くの村で火事や地震などの災害がおこる時には、その前ぶれとなる大きな音を轟かせたといわれます。
 また、その時に炎もあげたので、別名を「火炎車」とも呼ばれたそうです。

 さて、大師は沼のほとにに庵(小さな家)をつくり、護摩(注1)を焚いて人びとの平安をお祈りしました。
 すると、一人の少女が毎朝お水を供えてくれるのでした。大師は少女にお礼をいい、さらに住まいをたずねました。
「ハイ、私は近くの里の者でございます。」と少女は答えるのでした。
 あくる朝も少女は来ましたので、大師は「どうじゃな、悪いようにはいたさぬ。あなたの本当の姿を見せてはくれぬか。できることなら私が助けてあげよう。」といいました。すると・・・。
 はたせるかな、少女は龍の姿となって頭をさげたのです。
「実は、私はこの沼にひそむ龍神に魅入られて、沼の底でそれは苦しい思いをしてまいりました。どうか大師様のお力でお助けください。お願い申しあげます。」
 そこで、大師は印(注2)を結び一身にお祈りしました。すると、龍女は一たん大きく身をくねらせて沼の水に入ってゆきました。そして、ふたたび水上に現れたとき、少女の元の姿にもどることができました。
 自由の身となった少女は「大師様、本当にありがとうございました。このご恩におむくいするのはたやすいことではありませんが、一つお願いがございます。私に護摩修行で焚いた灰をいただけないでしょうか。そうすれば、夏にはこの沼に七つの島を浮かばせましょう。また、夜は龍灯をかかげて寺の境内を明るくいたします。この二つのことをきっとお誓いいたします。」
 そこで、大師はこころよく護摩の灰を分けてあげました。
 やがて、夏のお祭りのころとなりました。
龍女の二つの誓いはほんとうの形となって現れたのです。
 一つは、沼に七つの島が浮かびました。人びとはこれを夏島と呼びました。これが、七不思議の四つ目のお話し「夏島」です。
 もう一つ、夜になると境内は龍灯で明るくかがやきました。七不思議の五番目「龍灯」のお話しです。

(注1)護摩・・・火をたいて仏にいのる儀式
(注2)印・・・仏にいのるとき、指先をいろいろな形にくむこと。

 ある時、大師が沼の南の岸から北の岸へ渡ろうとしましたが、水が深く船もないので、どうしたものかと困っておりmした。
 すると、鎧かぶとに身をかため、手に宝の棒を持った侍の大将が雲の中から現れて「大師、私についてお渡りください。」と、藤のかつらを南から北へと引っぱってかけ渡したのです。
 そこで、大師は、この藤のかつらを伝い無事沼をこえて北の岸に渡ることができたということです。これが七不思議の六つ目で「沼渡りの藤」というお話です。
 なお、空から大師をみちびいてくれたのは毘沙門天であったといいます。

 また、ある時大師が沼のほとりを散歩しておりますと、空から弁天様のお姿が現れ「私もこの寺や村々のためにお力になりましょう。」とお告げがありました。
 そこで、沼に島をきずいて弁天様をおまつりしました。この弁天島から南の岸へかけて沼は半円形となり水は鏡のようにすんで、そこに富士の山影がうつし出されました。遠くはなれた富士山がどうして沼にうつったのでしょうか。これが、七不思議の最後「倒さ富士」のお話しです。
 また、そのあたりの眺めが、大師が若いころ留学した唐(昔の中国)の大慈恩寺の風景に似ていたことから、寺の名前を「慈恩寺」と呼ぶようになったということです。

 慈覚大師が寺を開いてから一一八〇年あまり、広い境内にはたくさんのお堂や建物がありましたが、数回におよぶ火災などでその姿は消えてしまいました。
 現在の本堂は、江戸時代の末、今から一六〇年ほど前に建てられたものです。
 そして、観音様は、坂東十二番札所として、秋の例大祭をはじめいつもお参りする人びとでにぎわっております。
内田 茂「岩槻むかしばなし」より

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