岩 槻 の 伝 説
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槍がえしの門
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岩槻城築城の伝説
岩槻城物語(前編)
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 槍がえしの門 (本町五丁目)
 
 江戸時代、岩槻城下の出入口は、市宿口、諏訪小路口、丹過口、林道口、田中口などがありました。それぞれの口には木戸門が設けられ、番所が置かれていました。
 このうち田中口の木戸門は、屋根がある立派な造りの門で、城下の人々は皆、この木戸門を誇りに思っていました。しかし屋根があり間口が狭いため、馬や荷車の通行には不便もきたしてもいました。
 あるとき、日光東照宮に行く将軍の行列がこの木戸を通ろうとしました。行列は槍を先頭に進んできましたが、屋根が邪魔で槍を立てたままでは通ることができません。
 行列の供頭は「ふとどきである。屋根を取り壊してしまえ」と言って取り壊そうとしました。
 たいせつな木戸門が壊されては大変とばかり、町人たちは城主・永井直陳に訴え出ました。永井直陳は、気が強く心正しいことでは幕府内でも有名で「せっかく今ある屋根を壊すことはない。槍を倒して通りなさい」と供頭に言いました。
 供頭は槍をかえす(倒す)ことは将軍の威光にかかわることだと言いましたが、直陳は頑として応じません。しかたなく行列は槍を倒して木戸門を通っていったということです。
 その後、木戸門は取り払われることになりましたが、壊してしまうには惜しいと、この門を浄安寺に移設しました。
 城下の人々はこの門を「槍がえしの門」と親しみを込めて呼ぶようになったということです。



岩槻市教育委員会発行「岩槻の伝説」より

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